ペルーで壮絶な体験~地方都市の医療やばい~

現在、二度目のペルー滞在中。7月に入国して2か月程経った。

アマゾン川の支流である、ウカヤリ川沿いにある地方都市のプカルパに滞在中。

首都リマから飛行機で1時間かかる

 

そんな中、食中毒にあたり療養中。

ここまですごいしんどかったため記録。

 

病状初期

初めは3週間前・・・7月25日の夜、急に耐えられんくらいの腹痛が来て下痢だった。その日、汗かいて動き回っていたから、おなかが冷えたのかな?と思ってた。下痢したら少し落ち着いたようにも感じたので、特に何もせず、おなかを温めてすごした。

 

そこから何週間か…冷房使うのやめてみたり、おなか冷さんように過ごしてたけど、なんか調子悪いな…。下痢も時々あったり、一瞬治った?と思いきや、また下痢。消化不良もあるし、なんかだるいな…

しかも、便に白い粘液?みたいなのがついていた。調べたらおそらく腸の粘液?で、下痢の時に過剰に出ることがある、みたいな...

 

下痢じゃないのに?粘液出てきてるのは何だろう…と思ってた。休憩を多くとりつつ、なんとなーく体調悪い中、すごしてた。

 

8月5日にピーク

8月5日(金)昼間に少し体の節々が痛くなって違和感。やばい熱出るわ。と思って、熱計ったら37.6度だった。下痢も1日7回くらい、トイレに駆け込んでは下痢、の繰り返し。すぐ友達に連絡してその日の夜に、町一番の私立病院に行った。

夜だったので大した検査はできず、下痢止めと痛み止めをもらって終了。「明日、血液検査ね」とのこと。まじか…

 

みんなに水分取れと言われてたから気づいたらポカリ飲むように意識してた(つもり)。食欲は全然ない。薬を少し飲んで寝た。

ここからが悪夢。

夜中、ずっとおなかのギュルギュル&しんどすぎる吐き気で起床。吐きたい。

トイレに駆け込んで下痢して、初めて少し吐いた。何も出てこなかった。

 

立ち上がった瞬間、耳鳴りとめまい。貧血みたい。あ、やばいかも、とりあえず座ろう。座っても目の前どんどん見えなくなってく。誰かに電話しなきゃ。必死に携帯の画面見るけど暗くて見えない。視界が一瞬全く見えなくなって、頭がぐわんってして床に倒れた。脱水症状だった。

 

死ぬかも、助けも呼べない…。

 

怖くなって床に転がってたら、少しずつ視界が明るくなってきた。かたっぱしから知り合いに電話するも、夜中なので出ない。もう救急車呼ぶしかない、と思ったけど番号がわからない!

googleで「ペルー 救急」と検索して、大使館のHPで「106」だと判明。即電話。カタコトのスペイン語で、名前、症状、住所、どうしてほしいか、など伝えた。何度も聞き返したりして5分くらいかかった。「いま向かってるから」と言われたものの、ほんとに来てくれるのかな、時間かかったらこのまま放置かな、どうしよう、と不安しかない。

救急車呼ぶのも人生で初めてだったし、なにせここはペルーの片田舎。不安しかないよね。でも信じるしかないし…

 

救急がホテルに入るためには、だれか内側の鍵を開けてもらう必要があった。立てないから入口まで行けない。誰か起こさなきゃ。朝5時に、オーナー2人と友達に必死に電話かけまくって、お願いだれか起きて!!と意識朦朧としながら祈る。

10回目くらいの電話で、奇跡的にオーナーが起きてくれて、救急を呼んだから助けてほしいと伝えた。5分後、救急の人とオーナーが部屋に来た。

 

よかった!!病院行ける!!とても安堵したことを覚えている。

 

救急到着!しかし・・・

ようやく救急隊員(2人)がきた!

2人「アッ、おまたせ~」って感じで入ってきて、手には救急箱セット?

この時点で「あれ?担架とかないの?」と不思議に思っていた。

 

その後、病院でなくその場で横になって、聴診・血圧・血中酸素濃度を測った。下痢だったり調子が悪いことを伝えると、医者は「うーん食中毒だろうね。」と言って、「ストリートフード食べた?Aguajina (フルーツ)食べた?」「それじゃないの~?気を付けなきゃだめだよ~。」とゆるい雰囲気。そして、その場で水分の点滴を入れはじめた。

 

日本じゃあ、まずないよね。簡易的なミニ病院のような…。

 

約1時間の点滴中、意識朦朧とした私の周りで、ペルー人達はケラケラ談笑。

最近行った旅行の話、日本についての質問、昔の笑い話など。「ペルーのどこが好き~?」「他に旅行した~?」など・・・

あんまりちゃんと覚えてないけど、「なんでこの人たち、こんな笑ってんの?」と半ギレしたことは覚えてる。今思い返せば、ペルー人なりにリラックスさせようとしてた??

 

点滴が終わり、もう一度血圧やら測って、薬を処方して、医師は颯爽と帰った。

・・・えっ、帰るの!?

私「今日、血液検査あるんだけど、病院に連れてってほし…」

医師「あー血液検査ね!もうちょっと落ち着いてから、行った方がいいよ!じゃっ!」

 

倒れて2時間後には部屋から誰もいなくなった。

 

まじか~~~!

救急は無料だった(公立病院の救急車だったから)けど、脱水で倒れたくらいじゃ病院には連れてってもらえないのか~。むしろ、「病院連れてってくれないの?」と聞いたら「えっ、病院行きたいの?」という返しが。

入院が良しとされてないのか、なんなのか…。

(※ペルーの公立病院は行くと病気を拾う、と言われるくらい衛生状態が悪いらしい)

 

午後に私立病院へ行き、血液検査&検便した。夜には結果が出て、別の病院へ提出。医者は大学で講義中だったので、受付の人を介してwhatsapp で診断してもらった( ゚Д゚)

受付のおねえさん「医者が『食中毒だ』って言ってます。」「処方箋を画像で送ってもらうから待ってて。」

 

私は「これで、町一番の私立病院…!?」と愕然とした(笑)

今後なにかあったらここに頼るしかないのか・・・(遠い目)と覚悟したことを覚えてる(笑)

 

覚悟を決めながら、医者のwhatsappの番号をさらっと入手して(ここ大事!)薬を買って帰りました。

そこから数日間、薬の副作用で夜寝られなかったり、生理がかぶったり、調査も何も進まなくて、精神的に参って何度も泣いたし。地獄谷の修行レベルを日々体験しました。

 

今は抗生物質を飲んで療養中。下痢・薬の副作用も落ち着いて、前よりはマシかな、というレベル。ただしまだ気持ち悪い。

 

 

プカルパでまた倒れたらどうすべきか、首都に戻ったときに、相談しようと思います。

正直、食中毒で倒れることの心配だけじゃなく、元から不安な眼の病気とか、生理のことも気になることがあり・・・

日本帰りたい、なんで私は帰れないの、twitterにいるバックパッカーなら「【お知らせ】世界一周中断します!」とか言って今すぐ帰れるのに!!!!クソ!

・・・と思って毎日泣いてた。(今も帰りたい)

 

自分が甘く考えてた部分もあるけど、安全が確保できないのに、なんでここで踏ん張らなきゃいけないの?体調不良にならないなんて、誰が保証できるの?次もしも同じことが起きたらどうする?

全然わからなくて。

今も答えが出ていません。

 

とにかく、首都に戻って再検査&他の部位も併せて検査して、少しでも不安を取り除きたい。「絶対大丈夫」って事はないけど…そのあとどうするかは、検査後の自分の気持ち次第かな、と思う。

 

命耐えるときに全て笑い話にできますように!ペルーで武勇伝残して、老後、近所の人に「ファンキーなおばあちゃん」って噂されますように!

 

続く(?)