修士課程を終えました。私です。
ここまで3年かかりましたが、ようやく修了しました!!
修士論文は、ペルー・アマゾン地域の小学校の先住民教育について「意義」を考察しました。
本当は教育の「問題点」について書く予定でした。
でも現地に行って、毎日授業を見て、子どもと先生たちの様子を見るうちに、彼らなりの努力だったり子どもの生き生きとした姿に気づきました。私はこれまでの論文だけを見て、問題があると決めつけて、先生の粗探しをしに来たのか?とふと思いました。
たしかに問題点はあるけれど、取り上げられてない良い点だっていっぱいあるはず…。授業でしか見れない意義があるんだと、問題なのは先生たちの質や教材ではなく、お前らの先入観だ!!と訴えたくて、書きました。
…熱くなりました。
学部の頃にウズウズしていたこの想いを、研究で思いっきりぶつけることが出来て、嬉しい限りです。
周りの皆様、本当にありがとうございました!!
アマゾンで調査をして(食中毒)、ニュージーランド留学で先住民と教育を学び、その合間に就活をして、帰国後に日商簿記も取りました。ずるいおじさまに散々泣かされた恋もあったり、ハッピーな時間は本当に少しで、泣きながら論文を書いたし。最後の半年は地獄でした
カウンセリングの先生には、心を強くする方法を教えてもらった。「問題を抱えながら、目の前に向き合うことがある時は、一旦きれいな箱に入れて、棚上げするの。頭でイメージしてみて。最初は難しいけど、だんだんできるようになるから。」
棚から何度も崩れ落ちてきたけど、この先、箱くらいは準備しておこうと思います。
最後は先生に「〇〇さん、よくがんばったね。徳を積みましたよ!」とお墨付きで褒めてもらった。私ももっと自分を褒めよう。がんばりすぎだよ!もう手放していいよ!
50年後おばあちゃんになった時、孫に話すネタは十分すぎるくらい溜まった。
今の課題は、「相手の立場に立って話すこと」と「自分を守る方法を持っておくこと」
です。
「私のせいじゃない!あいつが悪い!」と口癖のように言う人を見る度に、「他の人のせいにしないとやってられないくらい嫌なことが、過去にあったのかな。」「他人のせいにすることでしか自分を保てなかったのかな」「自分のせいって認めたら何か壊れちゃうのかな」と思ってなんか悲しくなる。
怒りというより、悲しくなる。人のせいにすることが処世術?
自分のせいだと思い詰めるのもヘルシーではないけど、たまには凛として言い返してみたり、笑って嫌味を言い返すくらいの強さがほしい。
柔軟な人ってなんだろう。許容するだけの人はやさしい人に見えて、怒りを抑圧してるだけ?自然体で柔軟ってなんだろう。
やっぱり相手の攻撃に簡単に折られないような心の強さと、笑い飛ばせるユーモアと、素直な気持ちと自信?なおかつ自分の弱点をさらけ出して認められる勇気?
完璧人間だ…
そんなこんなで自分を見直すきっかけにもなった。ありがとう私に関わってくれたすべての人。
そんなこともあったな・・・