終始修士終止
修士課程を終えました。私です。
ここまで3年かかりましたが、ようやく修了しました!!
修士論文は、ペルー・アマゾン地域の小学校の先住民教育について「意義」を考察しました。
本当は教育の「問題点」について書く予定でした。
でも現地に行って、毎日授業を見て、子どもと先生たちの様子を見るうちに、彼らなりの努力だったり子どもの生き生きとした姿に気づきました。私はこれまでの論文だけを見て、問題があると決めつけて、先生の粗探しをしに来たのか?とふと思いました。
たしかに問題点はあるけれど、取り上げられてない良い点だっていっぱいあるはず…。授業でしか見れない意義があるんだと、問題なのは先生たちの質や教材ではなく、お前らの先入観だ!!と訴えたくて、書きました。
…熱くなりました。
学部の頃にウズウズしていたこの想いを、研究で思いっきりぶつけることが出来て、嬉しい限りです。
周りの皆様、本当にありがとうございました!!
アマゾンで調査をして(食中毒)、ニュージーランド留学で先住民と教育を学び、その合間に就活をして、帰国後に日商簿記も取りました。ずるいおじさまに散々泣かされた恋もあったり、ハッピーな時間は本当に少しで、泣きながら論文を書いたし。最後の半年は地獄でした
カウンセリングの先生には、心を強くする方法を教えてもらった。「問題を抱えながら、目の前に向き合うことがある時は、一旦きれいな箱に入れて、棚上げするの。頭でイメージしてみて。最初は難しいけど、だんだんできるようになるから。」
棚から何度も崩れ落ちてきたけど、この先、箱くらいは準備しておこうと思います。
最後は先生に「〇〇さん、よくがんばったね。徳を積みましたよ!」とお墨付きで褒めてもらった。私ももっと自分を褒めよう。がんばりすぎだよ!もう手放していいよ!
50年後おばあちゃんになった時、孫に話すネタは十分すぎるくらい溜まった。
今の課題は、「相手の立場に立って話すこと」と「自分を守る方法を持っておくこと」
です。
「私のせいじゃない!あいつが悪い!」と口癖のように言う人を見る度に、「他の人のせいにしないとやってられないくらい嫌なことが、過去にあったのかな。」「他人のせいにすることでしか自分を保てなかったのかな」「自分のせいって認めたら何か壊れちゃうのかな」と思ってなんか悲しくなる。
怒りというより、悲しくなる。人のせいにすることが処世術?
自分のせいだと思い詰めるのもヘルシーではないけど、たまには凛として言い返してみたり、笑って嫌味を言い返すくらいの強さがほしい。
柔軟な人ってなんだろう。許容するだけの人はやさしい人に見えて、怒りを抑圧してるだけ?自然体で柔軟ってなんだろう。
やっぱり相手の攻撃に簡単に折られないような心の強さと、笑い飛ばせるユーモアと、素直な気持ちと自信?なおかつ自分の弱点をさらけ出して認められる勇気?
完璧人間だ…
そんなこんなで自分を見直すきっかけにもなった。ありがとう私に関わってくれたすべての人。
そんなこともあったな・・・
修士2年、はじめてのフィールドワーク~調査のやり方を猛反省~
みなさま、お久しぶりです。
ニュージーランドから帰国して、泣きながら修士論文に向かっているミントです。
研究室の自分の机でこれを書いています。朝6時半に着いて、今は9時を過ぎました。
ここ最近、修士論文に追われています。
毎日毎日、録音やビデオを見て声を文字に起こしています。ペルー(ド田舎)のスペイン語で、そろそろアクセントがイタリア語に聞こえてきたよ。(?)
リスニングが成長してるんだか退化してるんだか、わかりませんが、今日お伝えしたいことはコレ!!

そう、「データ整理なんて、フィールドワーク中に終わらせとけ、馬鹿ちん!!」です。
は~~これに尽きる。
帰国して約1年前のデータを見直して、写真はどこ行った~とか、動画ねえじゃん!!とか…もう無理無理無理…。
現在進行形で困りまくってる私は、さっき、過去の自分に伝言をしようと思いついて、これを書いているのである。(なるほど!)
いいか!!調査地ではしゃいじゃってる、お前!!
絶対に、データ取ったその日に、まとめとけよ!!
デバイス→USBに保存、オンラインにアップロードした後、ネットフリックス見るんじゃねえ!!!EXCELに記録して!!!!!
ちなみに私の場合、インタビュー(音声録音)と授業観察(ビデオ)をメインでやっています。加えて、自分のメモ、紙の資料、写真の資料もあります。
学校も5校訪問していて、見てきた授業も科目もバラバラ…。学校単位でまとめた後に、どの授業の資料なのかを振り分ける作業。
を、今すぐにやれ!!!!!
from 文字起こしにうなされている私より
ニュージーランドへ留学していました!~オークランド大学レポ2023~
久々に書くブログ!
ハチャメチャなペルー奮闘記から約半年・・・環境は一変しまして、ニュージーランドにいます!
というのも、2023年2月~7月まで交換留学に挑戦していて、オークランド大学で先住民教育を勉強した!
ニュージーランドは「教育」の水準が高いうえに、マオリ(NZの先住民)の政策が推進されていて日常生活でもマオリ語をみかけるくらい浸透しているの!
ペルーの現地調査を終えて、先住民に対する政府の支援の少なさや関心の低さにキレてた私は、ニュージーランドだけなぜ先住民に対してこんなに「手厚い」のか?知りたくなった!
特にマオリに対する「学校教育」はどうやっているのか?気になっていた。
マオリだけじゃなくて、ヨーロピアンなど非先住民たちも、マオリ語を勉強する機会があったり仕事で使ったり・・・なんとも不思議なのよね!
というわけで、オークランド大学で半期勉強することにして、今に至ります!(雑)
これを書いているのが2023年6月16日、帰国までちょうどあと1か月です。授業は全て終わって、その他諸々も無事終えまして…
感想:ペルーとは違う意味で「しんどい」でも「私らしい」留学になったかなと!
ところで授業は3つ取ってた!
①「Māori Education (マオリ族の教育)」
②「KAPA HAKA (ハカ)」
③「Diversity in Ao te aroa New Zealand (ニュージーランドの多様性)」
まじで全部楽しかった!!!
①は、教育政策、理論、マオリの歴史とか、堅い内容の授業で難しかった!教授がおじいちゃんで発音クセだらけ…。でも授業内容が、私の研究どストレートだったから楽しかったなあ。
朝6時に起きて大学近くのカフェに行って、2時間かけて授業課題の論文読んだ。(全然読み切れない)授業で2時間講義を聞いて、1時間クラスディスカッション。
ハードワークすぎない?
特にディスカッションは、質問も難しいし強制的に発表させられる。ネイティブが寝てても答えられるような事が分からなくて、めっちゃ悔しかったし、他の人が言ってることも全然分からん。しょぼーんとしてたけど、必ず出席してました!
「無料で受けられるECCレッスン(Lv. 100)」と思えば、むしろお得なのよ。損なし。
②はこの留学のハイライト!マオリの踊りをみんなで覚えた!

でも実は、Haka は色んな踊りがあるし、意味合いも違うのさ!
私が覚えたのは合計6曲 です。
1. Haka Powhiri
マオリは他部族と接触するとき、信頼できる人たちかどうか見極める。大丈夫そうなら、お出迎えの儀式をする。その儀式で踊るのが、このHaka Powhiri。つまり"Welcome dance" と言ってたかな。私たちは何者で、あなた達を信頼していいのよね?みたいな。

2. Ehara i te mea
先祖や自然を敬う歌。Aroha (愛) とか tupuna (先祖) とか歌詞に何回も出てくる! "Ehara i te mea no naianei te aroha..."→「愛は現代で生まれたものじゃない」という文で始まり、「先祖から受け継いできたものだよ。」と教えてる!常に土地、歴史、自然と繋がってるマオリに魅了されてました。先生は「これはhappy songだから皆スマイルだよ~~!」と言ってた。
3. Paikea
明るくてギターじゃんじゃん鳴らす曲!男女一緒になって体いっぱい表現する踊り。これが一番好きだったな。日本の盆踊り味がある。
4. Poi (Hoki Hoki)
これまた明るい歌。小学校のお遊戯会でやってそうな曲で、"Poi" というアイテムが登場!

私もKiwi ですら操るのに苦戦したけど、Māoriの生徒はさすが使い慣れてる!手にボールが吸い付いていくかのようにブンブン回す!かっこいい・・

5. Haka- Tika Tonu
男性メインの曲!男らしさを存分に出して、マオリ特有の表現もいっぱいあるよ。生で見るとかっこよくて圧倒されるよ!
6. Haka- Ka Mate
キタ!!!これです!!!ラグビー試合前の有名なダンス!
これも男性がメインのダンス。足を踏み鳴らし、舌を出したり「ハッ!」とかいいながら全身で表現してる。
勇ましい漢!って感じの曲だけど、実は、死ぬのが怖いマオリ戦士の曲だったらしい。
歌詞↓
<マオリ語>
Ka mate! ka mate! ka ora! ka ora!
Ka mate! ka mate! ka ora! ka ora!
Tēnei te tangata pūhuruhuru
Nāna i tiki mai, whakawhiti te ra!
Aaa hupane! Aaa kaupane!
Aaa hupane kaupane
Whiti te ra!
Hi!
<英訳>
This death! This death! This life! This life!
This death! This death! This life! This life!
Be hold! There stands the hairy man,
Who will cause the sun to shine!
A step upward. A step another.
A step upward and another.
The sun shines!
Rise!
どうやら、敵に追われて身を潜めている時に、相手が近づいてきて「死ぬかもしれない・・」という状況。マオリの戦士が身を奮い立たせるために、歌ったのが始まりとか。
ひたすら強いアピールしているのではなく、"This death! "「死が近づいている!」と言ってる。死を目前に団結しているのかな、と思った
③の授業は、「ニュージーランドの多様性」について。
これまた面白くて、NZの民族、移民、障害、ジェンダーなど色んな特徴に注目してる授業。社会学の授業なので、アイデンティティとか多文化主義とか「理論」を勉強した。さらにそれをレポートにするのがめttっちゃ大変。
今までやったことない分野だけど、英語で理解→アウトプットするいい練習になったなあ。あと、先生が死ぬほどやさしい。毎回生徒にチョコレートを持ってきてくれる(自腹・・)。
大学院で教授の奴隷と化してる日本人からすると、授業に来て勉強「させてもらう」という感覚は当たり前だった。
一方でKiwiたちは、先生に「どうも!」って感じの軽い挨拶で、かーなり近い距離だなって。でもみんな授業に来なくなって、最終的にクラスの1/3くらいの人数でやってたな。自腹でチョコ配布しても授業に来る人は減ってきて、「先生かわいそう…」と同情してしまった。なので、授業アンケートで最高評価にして、ベタ褒めのラブレターを送りつけました👍👍Lincoln, あなたは最高です!
以上、オークランド大学レポ2023でした。
この留学中にオンラインで就活もやってたんだけど、長い話になるのでここまで!
ペルーで壮絶な体験~地方都市の医療やばい~
現在、二度目のペルー滞在中。7月に入国して2か月程経った。
アマゾン川の支流である、ウカヤリ川沿いにある地方都市のプカルパに滞在中。

そんな中、食中毒にあたり療養中。
ここまですごいしんどかったため記録。
病状初期
初めは3週間前・・・7月25日の夜、急に耐えられんくらいの腹痛が来て下痢だった。その日、汗かいて動き回っていたから、おなかが冷えたのかな?と思ってた。下痢したら少し落ち着いたようにも感じたので、特に何もせず、おなかを温めてすごした。
そこから何週間か…冷房使うのやめてみたり、おなか冷さんように過ごしてたけど、なんか調子悪いな…。下痢も時々あったり、一瞬治った?と思いきや、また下痢。消化不良もあるし、なんかだるいな…
しかも、便に白い粘液?みたいなのがついていた。調べたらおそらく腸の粘液?で、下痢の時に過剰に出ることがある、みたいな...
下痢じゃないのに?粘液出てきてるのは何だろう…と思ってた。休憩を多くとりつつ、なんとなーく体調悪い中、すごしてた。
8月5日にピーク
8月5日(金)昼間に少し体の節々が痛くなって違和感。やばい熱出るわ。と思って、熱計ったら37.6度だった。下痢も1日7回くらい、トイレに駆け込んでは下痢、の繰り返し。すぐ友達に連絡してその日の夜に、町一番の私立病院に行った。
夜だったので大した検査はできず、下痢止めと痛み止めをもらって終了。「明日、血液検査ね」とのこと。まじか…
みんなに水分取れと言われてたから気づいたらポカリ飲むように意識してた(つもり)。食欲は全然ない。薬を少し飲んで寝た。
ここからが悪夢。
夜中、ずっとおなかのギュルギュル&しんどすぎる吐き気で起床。吐きたい。
トイレに駆け込んで下痢して、初めて少し吐いた。何も出てこなかった。
立ち上がった瞬間、耳鳴りとめまい。貧血みたい。あ、やばいかも、とりあえず座ろう。座っても目の前どんどん見えなくなってく。誰かに電話しなきゃ。必死に携帯の画面見るけど暗くて見えない。視界が一瞬全く見えなくなって、頭がぐわんってして床に倒れた。脱水症状だった。
死ぬかも、助けも呼べない…。
怖くなって床に転がってたら、少しずつ視界が明るくなってきた。かたっぱしから知り合いに電話するも、夜中なので出ない。もう救急車呼ぶしかない、と思ったけど番号がわからない!
googleで「ペルー 救急」と検索して、大使館のHPで「106」だと判明。即電話。カタコトのスペイン語で、名前、症状、住所、どうしてほしいか、など伝えた。何度も聞き返したりして5分くらいかかった。「いま向かってるから」と言われたものの、ほんとに来てくれるのかな、時間かかったらこのまま放置かな、どうしよう、と不安しかない。
救急車呼ぶのも人生で初めてだったし、なにせここはペルーの片田舎。不安しかないよね。でも信じるしかないし…
救急がホテルに入るためには、だれか内側の鍵を開けてもらう必要があった。立てないから入口まで行けない。誰か起こさなきゃ。朝5時に、オーナー2人と友達に必死に電話かけまくって、お願いだれか起きて!!と意識朦朧としながら祈る。
10回目くらいの電話で、奇跡的にオーナーが起きてくれて、救急を呼んだから助けてほしいと伝えた。5分後、救急の人とオーナーが部屋に来た。
よかった!!病院行ける!!とても安堵したことを覚えている。
救急到着!しかし・・・
ようやく救急隊員(2人)がきた!
2人「アッ、おまたせ~」って感じで入ってきて、手には救急箱セット?
この時点で「あれ?担架とかないの?」と不思議に思っていた。
その後、病院でなくその場で横になって、聴診・血圧・血中酸素濃度を測った。下痢だったり調子が悪いことを伝えると、医者は「うーん食中毒だろうね。」と言って、「ストリートフード食べた?Aguajina (フルーツ)食べた?」「それじゃないの~?気を付けなきゃだめだよ~。」とゆるい雰囲気。そして、その場で水分の点滴を入れはじめた。
日本じゃあ、まずないよね。簡易的なミニ病院のような…。
約1時間の点滴中、意識朦朧とした私の周りで、ペルー人達はケラケラ談笑。
最近行った旅行の話、日本についての質問、昔の笑い話など。「ペルーのどこが好き~?」「他に旅行した~?」など・・・
あんまりちゃんと覚えてないけど、「なんでこの人たち、こんな笑ってんの?」と半ギレしたことは覚えてる。今思い返せば、ペルー人なりにリラックスさせようとしてた??
点滴が終わり、もう一度血圧やら測って、薬を処方して、医師は颯爽と帰った。
・・・えっ、帰るの!?
私「今日、血液検査あるんだけど、病院に連れてってほし…」
医師「あー血液検査ね!もうちょっと落ち着いてから、行った方がいいよ!じゃっ!」
倒れて2時間後には部屋から誰もいなくなった。
まじか~~~!
救急は無料だった(公立病院の救急車だったから)けど、脱水で倒れたくらいじゃ病院には連れてってもらえないのか~。むしろ、「病院連れてってくれないの?」と聞いたら「えっ、病院行きたいの?」という返しが。
入院が良しとされてないのか、なんなのか…。
(※ペルーの公立病院は行くと病気を拾う、と言われるくらい衛生状態が悪いらしい)
午後に私立病院へ行き、血液検査&検便した。夜には結果が出て、別の病院へ提出。医者は大学で講義中だったので、受付の人を介してwhatsapp で診断してもらった( ゚Д゚)
受付のおねえさん「医者が『食中毒だ』って言ってます。」「処方箋を画像で送ってもらうから待ってて。」
私は「これで、町一番の私立病院…!?」と愕然とした(笑)
今後なにかあったらここに頼るしかないのか・・・(遠い目)と覚悟したことを覚えてる(笑)
覚悟を決めながら、医者のwhatsappの番号をさらっと入手して(ここ大事!)薬を買って帰りました。
そこから数日間、薬の副作用で夜寝られなかったり、生理がかぶったり、調査も何も進まなくて、精神的に参って何度も泣いたし。地獄谷の修行レベルを日々体験しました。
今は抗生物質を飲んで療養中。下痢・薬の副作用も落ち着いて、前よりはマシかな、というレベル。ただしまだ気持ち悪い。
プカルパでまた倒れたらどうすべきか、首都に戻ったときに、相談しようと思います。
正直、食中毒で倒れることの心配だけじゃなく、元から不安な眼の病気とか、生理のことも気になることがあり・・・
日本帰りたい、なんで私は帰れないの、twitterにいるバックパッカーなら「【お知らせ】世界一周中断します!」とか言って今すぐ帰れるのに!!!!クソ!
・・・と思って毎日泣いてた。(今も帰りたい)
自分が甘く考えてた部分もあるけど、安全が確保できないのに、なんでここで踏ん張らなきゃいけないの?体調不良にならないなんて、誰が保証できるの?次もしも同じことが起きたらどうする?
全然わからなくて。
今も答えが出ていません。
とにかく、首都に戻って再検査&他の部位も併せて検査して、少しでも不安を取り除きたい。「絶対大丈夫」って事はないけど…そのあとどうするかは、検査後の自分の気持ち次第かな、と思う。
命耐えるときに全て笑い話にできますように!ペルーで武勇伝残して、老後、近所の人に「ファンキーなおばあちゃん」って噂されますように!
続く(?)
2か月だけの居酒屋バイト~初心者~
5月中旬、人生初の居酒屋バイト開始。
ほぼフリーターなので、週3日からスタート。初日は生ビールの注ぎ方から練習。4割泡やん・・(真っ白)
それも笑ってくれるようないいお客さん達ばかりで!めちゃくちゃ楽しかった。何よりまかない無料!実家暮らしなのに!天ぷら、そば、おつまみ、食べ放題!(違う)
メニューからまかない選んでいいよって言われて、そこはもう夢の国。値段お高めの「おしゃ居酒屋」だったので普段食べれないものを、毎日おなか一杯たべました。
あ、そうそう、ランチの店と思って入ったけど、面接で「居酒屋メイン」の店だと知りました。よって、ランチ蕎麦屋で働く予定が、実は、天ぷら居酒屋で働くことになりました。
まあ楽しいからよし。お客さんも優しいし、ご飯もめちゃくちゃおいしい。お金稼ぎに来たのにむしろ貰えることの方が大きくない??って周りに自慢しまくってた。超楽しかったな~
更に!
地元では珍しく、日本酒を売りにしている店だったみたいで(初耳)・・・
広島で日本酒にハマりかけてた私は大歓喜!その後毎日飲むことになります。
「お!新人さん?一杯飲みなよ」と声かけて頂いたりして、おいしいお酒飲んで。
忙しくなったら仕事集中して。失敗だらけでポンコツだったけど、店長の仕事真似したり、友達に相談したり、自分なりに一歩ずつコツコツ改善してった。
・ドリンク出すの忘れた⇒「ドリンクの注文がきたらとにかく最優先!」って決めて、それ以外は後まわし。
・料理のオーダー聞き間違えた⇒それ以降は口頭でお客さんに再確認。
・厨房に伝える時に勘違いがあった⇒コミュニケーション不足⇒声かけ&見やすい書き方の工夫。
・ドリンクをオーダーされた数と出した数が違った⇒オーダーより先に伝票付けるとドリンク出すの忘れちゃうし、後につけると伝票書くこと忘れちゃう(アホ)。⇒とりあえず注文もらったらその場で伝票書いて、出したら正の字でメモしていく。そうすれば伝票の数と正の字の数が揃うはず!(精算時に伝票が見にくいって怒られたけど知らん)
こうやって自分なりに、少しずつ工夫して。
ミス⇒なんでミスしたの?どこで?どうすればよかった?次はどうする?
2か月というタイムリミットが、自分で成長速度を加速させてた気がする。
「明日の目標は、絶対オーダー再確認すること」「昨日ミスしたから、今日はこれだけはする」とか毎日目標を一個だけ決めた。
続く
2か月だけの居酒屋バイト~出会い~
たった二か月だけの居酒屋バイトが、かけがえない経験だったから記録。
2022年4月、大学院を休学していたこともあり、授業もないのに一人暮らししてるのつまんなくて帰省した。毎日ちょっとずつ論文読んだり、荷物まとめたり、まあほとんど暇だった。
既に7月からペルー行きが決まっていたものの、あと3か月何しよう・・・
毎日勉強?しなさそう…ダラダラするにも飽きたし。
そんな時、母に「バイトでもすれば?」と言われた。確かに、これから留学ラッシュでお金不安だし、帰国後に修論に集中するためにも、今稼ぐか!と一念発起(?)
問題はどこで働くか・・・。どうせなら楽しく働けるとこがいい。毎日通うなら実家の近くで。給料は1000円はほしいな。それよりまず、「2か月だけ」って期間限定を許してくれるとこなんてあるんか??
そう思いながらgoogle mapを眺めてたとき、駅近に見たことない店を発見!そばと天ぷらの店!Google レビュー☆4.2!
新しくできたばかりの、こじゃれた雰囲気の天ぷら屋さんだった。
天ぷら屋と言いつつ、ランチのそばのレビューがとてもいい。そばスキだしちょうどいいじゃーん!なにより「まじめな店主」とのコメントが。
いける・・・(確信)そば食べたい・・・。
ランチの店で働くのありだな!テキパキお膳を出す自分が想像できた。
「ダメもとで行ってみよう!」
ってことで一度店見学しに行くことに。平日13時頃、覚悟決めて店前についたとき、窓ガラスに「アルバイト募集!」の張り紙発見。(それまでバイトいるかどうかも知らなかった)
「えっいけるやん!」
テンション上がって窓から店内をのぞいてみたら、店内はカウンターありで、暖色の照明。バイトらしき人の背中。明るい店内、表に出てるメニュー表もかわいらしい感じ(大衆受け感?)
「「絶対ここやん!!!」」
↓
帰って即電話。30分後面接。当日採用。(ありがとうございます)
2か月だけしか働けないことも伝えて、それでも雇ってくれたのは本当に感謝。「ちょうど今誰もバイトいないから」「好きなだけ入ってくれたらいいから」って。神様??
ほぼフリーター状態&飲食経験ほぼゼロ&2か月後に卒業決定、の私を即採用して頂き・・・
翌日から馬車馬のように働くのでした。
続く
<ペルー観光ビザ(VISA de turismo)情報まとめ> 2022年7月24日時点
ここではペルー政府発給の日本人向け観光ビザについて、私の知る限り情報をまとめていきます。
・経緯
・変更点
・ペルー外務省のPDF
・結論
1. 経緯
2022年7月にペルー入国し、約6か月間滞在予定です。その間、長期ビザでなく観光ビザで滞在しようと考えています。
ただ、コロナ前後で観光ビザの規定が変わり、日本では十分な情報が得られませんでした。観光ビザで長期滞在を考えている方に向けて、現地で得た情報をここにまとめます。
(※最新の情報は必ず各自で大使館に問い合わせてください。あくまでも現時点の情報なので変更される可能性があります。)
2.変更点
「国内での観光ビザ滞在日数延長不可」
ペルーでは、観光ビザの滞在許可日数は、入国時に審査官の判断によって決められます(!)。滞在目的・滞在予定期間・帰りの航空券などを見て、その場で付与されるので、最大90日間もらえるはずですが、場合によって60日、30日間など変わります。
ただ、日本人に対する観光ビザでは、「最初に入国してから365日間で、続けてもしくは累計で最大183日滞在可能」です。
よって・・・
コロナ前(2020年3月頃以前):
入国時に付与された滞在許可日数が切れる前に、ペルー国内にて、移民局のウェブサイトから情報を入力し、簡単に+90日間延長できました。
しかし・・・
コロナ後(2022年1月頃以降?)~現在:
入国後に延長手続きはできなくなりました。在日ペルー領事館、ペルー入国時の審査官、在ペルー日本大使館に尋ねましたが、どこも「現在は延長手続き不可になった」との回答でした。
3.ペルー外務省のPDF
2022年6月14日に、ペルー政府のホームページで外務省が"Convenios de visas para ciudadanos extranjeros"という題でPDFを掲載しました。PDFでは、出身国と滞在目的によって、ペルー入国の際にビザが必要有無と許可日数が一覧になっています。日本は、観光目的でビザは「不要」・許可日数「90」と書いてあります。
ただ、この許可日数は、一度の入国 or 決められた期間内での日数なのか明記していません。私は「観光ビザは累計90日間に短縮されたのか!?」と不安になりました。(他のサイトでも、この曖昧な記述の仕方に混乱している人が多数いました。)
在ペルー日本大使館に、観光ビザでの滞在許可日数と外務省PDFについて尋ねたところ、すぐに現地入管に問い合わせて頂けました。以下回答です。
観光ステータスでの滞在は、1年のうちに、続けて、もしくは累計で最大183日の滞在が可能。1年の起算は、 最初の入国日からです。外務省のPDFファイルで、 日本人のところに90日とあるのは、 査証免除で滞在できる日数は最長90日、 という意味とのことです。最長90日とは、 1回の入国について言及しています。
4.結論
つまり・・・
入管法では、観光目的ならビザ申請せずに1年のうち累計最大183日間滞在可能だけど、ビザなしでは1回の入国で滞在できるのは最長90日まで。
ということだそうです!(投げやり)
法律上では183日許可されているので、365日以内に再入国しても違法にはならない(はず)ですが、再度90日付与されるとは限らないです。むしろ、それより少ない日数を付与される可能性があると、領事館で伺いました。すべては入国時の審査官次第です(!)。
私は一旦、再入国に懸けるか長期ビザ申請(帰国に間に合うか分からない)のどちらか検討します…。
以上、取り急ぎ情報まとめでした!追記・修正などあればコメントお願いします(^^)!